京都京阪バス 8393号車 貸切会
みなさん、こんばんは。
そしてお久しぶりです。前回の岐阜バス710号車の貸切の記事にて「名鉄谷汲駅のことを書く」とか言っていましたが、谷汲駅の状態が変わってしまったので見送らせていただきました。楽しみにしてくださっていた方がいらっしゃるとは思いませんが、申し訳ございませんでした。
ではでは、本題に移りたいと思います。
先日12/28にタイトルにある通り、京都京阪バスを貸し切りさせていただき色々と回らせていただきました。
はじめに、今回貸切の運転をしてくださいました運転士様、列びに京都京阪バスの方、この場で厚く御礼申し上げます。
まずは貸切させていただいた「京都京阪バス 8393号車」についての説明をさせていただきます。
・車両紹介
【ナンバー】京都 22 か 6538
【車番(局番)】8393
【所属営業所】八幡
【製造会社】三菱
【ボディ】MBM
【型式】KC-MP717M(T)
【年式】1998年
【備考】元京阪バス B-1940号車
京都京阪バスと同様の京阪HD傘下、京阪バスから移籍してきた車両です。
京阪バス時代は比叡山路線への充当を中心とした運用をこなしており、パワーある車両です。そのため、京阪バスで最後まで残り続けた「22ナンバー」でした。
型式で「なぜ(T)がついているの?」という声もあると思います。
それは”ターボ”から取られたと推測される「高出力」を表すものになっています。
そのため、京阪バスでは最後まで重宝される存在であったのです。
京阪バスから京都京阪バスに移籍するときに、後部マフラー類の配管の変更、料金箱撤去などの整備がされております。
なので現在路線で使われることはなく、貸切車として活躍中です。
余談ではありますが、京阪バスの比叡山路線用KC-MP717M(T)は、この車両以外にも2台在籍しておりました。が、同時期に除籍され2台共が京阪京都交通で活躍しております。
ではここからは貸切会で巡った場所の紹介と行きましょう。
・東山山頂
最初向かった場所は将軍塚を経由し東山山頂です。
はじめの形式写真もこの場所で撮影しました。
後ろにそびえ立つ大きな木もいい味を出しています。
現在は、京阪バス70号経路*1が1時間に2本という本数で運行しておりますが、現役時代には青龍殿で行われる催し物のときに臨時バスとして走っていたのかもしれません。
当初の天気予報を見ていると絶望的でしたが、撮影会を開始しものの数十分で晴れ、順光カットを初っ端から回収することができました。
東山山頂から山を降り、三条通りを東へ進みます。
・大津港
九条山、日ノ岡、御陵と元々京阪京津線が通っていた場所を通り、現役時代によく姿を表していた山科駅を素通りし、一号線へ合流。現在の京阪京津線と並走し向かうは「浜大津」。
残念ながら走行中に京津線車両と離合・並走することはありませんでした。
そんな話はおいておきましょう(笑)
旧ブログ時代に出した8352号車の貸切と同様に、琵琶湖汽船の「BIANCA*2」と、滋賀県の学生さんであればお世話になったという方が多いと思われる「うみのこ」をバックに撮影させていただきました。
ここでも天気予報をいい意味で裏切っていただき晴れカットを撮ることができました。
ここからこの車両の乗りどころとも言える「高速道路」です。
・草津PA
「モテナス草津」と8393号車が同じ画の中に収まるのは面白いですね。
草津とわかるようにと悩んだ末、このようななんとも言えない写真にはなってしまいましたが、しょうがないでしょう…
出発間際に神奈川中央交通の観光が隣に付きました。
神奈中のこのエースは観光バスなのにも関わらず固定窓で、休憩以外では外の空気を吸えない、ある意味地獄な仕様でした。
この画は高速道路でしかほぼほぼありえないと思いますので良い記録にはなったのでしょうか?
・大津PA
「なんか大津に戻ってきたな?」と思われる方も多くないと思いますが、2番めに訪れたとこから2kmも離れていない場所に戻って来ました。
特徴的な大津PA下り。
店舗が入っているところには「びわ湖大津」と書かれており、京阪の駅「びわ湖浜大津」を思い立たせる名前でした。
ちなみにこの特徴的な屋根のある場所には展望台があります。
展望台は2階ほどの高さ、3階ほどの高さの二段階ありました。
2階にある展望台ではバスと背景のびわ湖を絡めることができます。
自分の車とびわ湖を絡め「滋賀県に来たぞ」と撮るのもありかもしれませんね。
・桂川PA
完全に記録になってしまいましたね…
なんもひねりのない写真で申し訳ございません…
なんだかんだ三菱同士の並びを草津、ここ桂川と2回取れたのは良かったのかもしれませんね。
このように高速道路を満喫しました。
高速道路ではエンジンの音がおかしい等が一切なく、古さを見せつけないような安定した走行でした。
ここからはおまけです。
よく歯止めを見ると「5106」と書かれていました。
そうなんです。この車両は5106号車の置き換え車両として導入されたのです。
なお、5106号車と製造年数が僅か3年しか変わらないんですよね。この車両も3年ほどしか生きないということなのでしょうか…?
京阪バス時代の名残として山科営業所の回送幕番号であったり、無線番号であったりと色々遺されていました。
みなさんも一回貸切をしてみて「京阪バス」を味わうのはいかがでしょうか?
以上です。